泣いても笑ってもあと一日か

先日邦ちゃんと中華ランチ

 押し迫ってまいりました!
 毎度毎度、いつものことながらどうしてこうなっちゃうかなーな年の暮れです。
 毎日書きたい日記も途切れがち。
 書かない癖が付いたら、今度は何から書こうか途方に暮れてしまって。
 今日はこうして日記にたどり着けたのは、暮れの用事を済ませたわけではなく、
 やっと年賀状が書けた(と言うか作れた)ことの爽快感と言うか、達成感からかも。
 いよいよ明日一日になってしまったコトシ。
 末っ子は結婚して住まいが違うし、博多の次男は帰省できないらしいし、邦ちゃんは例年のように石川県の実家には釣り帰省しないし。暖かだし、ピンとこない年の暮れだ。
 寝耳に水のような降ってわいたような四国のお墓問題の一件は、スッキリしない問題があっさり解決して、その問題は落着。先日29日に無事永代供養していただいたと、いとこから電話がありました。残すとこ僅か、あと一つのことが片付いてその請求が来て支払ったら終わりそうだ。来年は一度四国に行こうかと言う話にはなっている。わたしの生まれたところだし母、兄、弟が眠っているところだ、一度くらい行ってもらってもいいのかも。
 こんな気持ちに軌道修正できたのは、寝耳に水事件があったからだ、感謝しようではないか。

 大地に根付くイチゴ、その周りに蔓延る草を抜きに邦ちゃんと畑に行った。イチゴの畝を見た時、草にまみれてどれがイチゴかみ分けられなかったのには驚いた。腰を下ろして一つ一つ抜いて行った。きれいさっぱりして気持ちよさげだ。


 上が玉ねぎ、下がニンニクです。イチゴと一緒、これも苗の周りにもれなくついているホトケノザ。わたしと違って邦ちゃんは一つずつの苗に話しかけているようだ。吹けば飛ぶような種だったのが、土の中からちゃんと芽を出してくれていることを応援しているかのように。
 そんな感慨を抱くなんて思いもよらなかったけれど、これはきっと精神衛生上良いことなんだろうなと思ったわたし。土を耕し生まれた芽に感動し、その育ちを見ていくことになる。自然に触れる小さな喜びにあふれた一年が過ぎようとしている。

 マンドリンの練習でもするつもりなのかな、夕刻アマゾンさんから届いた教則本。ネットで注文は便利過ぎて、いいのかよくないのか…。